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戦争絶滅受合(うけあい)法案について… 2014年10月

 憲法九条を読んでみましょう。
憲法第九条【戦争の放棄,戦力及び交戦権の否認】
① 日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し,国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する。 ② 前項の目的を達するため,陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない。国の交戦権は,これを認めない。


 これはどのようなことを定めているのでしょうか。憲法は1947年5月3日に施行されましたが,その年の8月2日に当時の文部省が,中学校1年生用の社会科の教科書として発行した「新しい憲法の話」の中に分かり易く説明をしています。
人は嘘をつくものですが,ある出来事の直後は本当のことを言うものです。直後は純粋であり,都合のよい悪知恵等が働く余地が少ないからです。都合を優先すると,後になるほど物事についての見方は間違ってきます。
そこで,この憲法が施行された直後の,当時の政府の生徒たちに対する説明を読んでみましょう。

 六 戦争の放棄
みなさんの中には,こんどの戦争に,おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また,くうしゅうで,家やうちの人を,なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい,かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして,日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ,おそろしい,かなしいことが,たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから,こんどの戦争をしかけた国には,大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戦争のあとでも,もう戦争は二度とやるまいと,多くの国々ではいろいろ考えましたが,またこんな大戦争をおこしてしまったのは,まことに残念なことではありませんか。
そこでこんどの憲法では,日本の国が,けっして二度と戦争をしないように,二つのことをきめました。その一つは,兵隊も軍艦も飛行機も,およそ戦争をするためのものは,いっさいもたないということです。これからさき日本には,陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは,けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを,ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に正しいことぐらい強いものはありません。
もう一つは,よその国と争いごとがおこったとき,けっして戦争によって,相手をまかして,じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして,きまりをつけようというのです。なぜならば,いくさをしかけることは,けっきょく,じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。
また,戦争とまでゆかずとも,国の力で,相手をおどすようなことは,いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国となかよくして,世界中の国が,よい友だちになってくれるようにすれば,日本の国は,さかえてゆけるのです。
みなさん,あのおそろしい戦争が,二度とおこらないように,また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。

 ところが,朝鮮戦争が起きた1950年8月に,政府は警察予備隊を作り,これが現在の自衛隊となりました。自衛隊はその編成,規模,装備,能力からすると明らかに軍隊であるというのが長沼訴訟における裁判所の第一審判決です。ところが,政府は自衛隊は憲法の禁ずる「戦力」ではなく「自衛のための必要最小限度の実力」などと説明をしています。いったいどちらが正しいでしょうか。しかし,少なくとも自衛隊を合憲だとする政府の説明は,自衛権を行使するために必要最小限度の実力で,あくまで自衛のためのものであるということが最低限の根拠になっているのです。

ところが,安倍内閣が閣議決定をした集団的自衛権の行使というのは,自衛権を行使するための必要最小限の実力という点を超えて,日本国内から海外に出て実力を行使することができるというものなのです。
自衛権を行使するための必要最小限度というのは,海外へ出て行って戦闘行為を行うということと絶対に両立しません。安倍内閣の集団的自衛権の行使はこのようにして,憲法九条を完全に骨抜きにするものになります。もう一度新し憲法の話を読み返して見ましょう。

これまでの政府の解釈は,軍隊は持たない→自衛隊は戦力ではなく自衛のための実力である→自衛のために海外で闘うことができる,と都合よく変わってきています。
これは例えればこのようなことでしょう。ある人から物を10年の約束で借りたとします。10年経ったのでその物を返してくれと請求されたときに,いや10年というのはこれから始まるんです。そこで,やむなく更に10年経った時点で返すように求めたところ,いや20年も使っているんだから返さなくていいんだよということと同じことです。
こういう法治国家とも思えない,とんでもない解釈をする政府に対しては,次のような法案で対抗することがふさわしいでしょう。それは戦争絶滅受合(うけあい)法案というものです。
これは大正デモクラシーの時代の評論家でジャーナリストの長谷川如是閑が紹介しているものです。戦争を始めたがる人間は戦場には行かないという歴史的経験をふまえた上で,それを逆手に取った名案であると言えます。その内容を紹介します。

「戦争行為の開始後又は宣戦布告の効力の生じたる後,十時間以内に次の処置をとるべきこと。
即ち左の各項に該当する者を最下級の兵卒として召集し,出来るだけ早くこれを最前線に送り,敵の砲火の下に実戦に従はしむべし。

一 国家の××(元首)。但し△△(君主)たると大統領たるとを問はず。尤も男子たること。
二 国家の××(元首)の男性親族にして十六歳に達せる者。
三 総理大臣,及び各国務大臣,并に次官。
四 国民によって選出されたる立法部の男性の代議士。但し戦争に反対の投票を為したる者は之を除く。
五 キリスト教又は他の寺院の僧正,管長,其他の高僧にして公然戦争に反対せざりし者。
上記の有資格者は,戦争継続中,兵卒として召集さるべきものにして,本人の年齢,健康状態等を斟酌すべからず。但し健康状態に就ては召集後軍医官の検査を受けしむべし。
上記の有資格者の妻,娘,姉妹等は,戦争継続中,看護婦又は使役婦として召集し,最も砲火に接近したる野戦病院に勤務せしむべし。」

「憲法九条にノーベル平和賞を」という運動が起こったとき,多くの人は空想だと感じたと思います。しかし,なんと受賞候補にノミネートされました。だから,この法案を多くの人々が知って学び,どうすれば戦争をなくすことができるか考えて,より良いものにすれば国会に上程できるかも知れません。


(文責:武田)