縁切寺~中世の離婚調停所・シェルター 2013年6月
私の好きな歴史学者の網野善彦さんは日本の中世史の研究書をいくつも書かれています。
網野さんの中世史研究は,宮崎駿監督の「もののけ姫」の世界観にも大きな影響を与えたとされています。
網野さんの名著「無縁・公界・楽」に「江戸時代の縁切寺」という文章が収められているのですが,網野さんによれば,江戸時代には夫に非があっても夫が一方的に離婚を申し渡すことができ(俗に言う三行半)離婚する/しないは男性の意向によるとされていました。当時は男尊女卑の世の中,当然のこととされていたようです。
しかし,何事にも例外はあり,上記のルールの例外として,女性が「縁切寺」とされる特定のお寺に駆け込んだ場合には,一定期間お寺のルールを守ってお寺内で生活することを条件に,妻からの離婚が認められる仕組みになっていたということです。
妻が縁切り寺の敷地内に草履を投げ込むと,その瞬間をもって,夫は妻に手をかけることが許されなかったという大変興味深いルールもあります(上記の網野さんの本には,その様子を描いた絵が紹介されています)。仏様のてのひらに逃げ込んだ人にはたとえ夫であっても手を出してはならぬ,という発想でしょうか。
さしずめ,縁切り寺は,夫からの暴力に悩む妻へのシェルターのような役割を果たしていたのでしょう。
縁切寺としては,鎌倉の東慶寺,群馬の満徳寺などの尼寺が有名で,格式の高いお寺だったようです。中世におけるお寺の勢威は大変なものがあったことから,江戸幕府も渋々その調停権を認めていたようです。
翻って現代では,離婚問題で悩む女性は,裁判所の家事調停やDVに対する保護命令を申立てるようになりました。もちろん,現代は江戸時代とは異なり男女対等の世の中ですが,夫からの暴言・暴力に悩む女性がいることには変わりありません。時代は変われど,悩む女性の相談にのってくれる場所はいつの世も必要とされているのでしょう。そして,悩む女性の力になりたいという正義感・同じ女性としての共感を持っていた名もなき尼僧たちが悩む女性を守ってきたのかもしれません。
(文責:一由)
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