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子どもの権利条例 2011年5月

去る5月7日、長野市内において長野県弁護士会主催の「子どものびのびプロジェクト」と題するシンポジウムが開かれました。

 昨年当選した阿部守一長野県知事が「子どもの権利条例(仮)」の制定を公約に掲げ、子どもの権利条約(日本は1994年に批准)を具体化した条例を制定する動きに合わせて市民の意識を高め、子ども主体の条例ができることを望んでの企画でした。
 全国では市町村レベルでの子どもの権利条例はいくつかありますが、都道府県レベルで制定されれば全国初です。

 内容は、不登校経験やいじめ、児童養護施設に入所したことのある子どもたちに体験談や意見を述べてもらい、施設でのプライバシーや職員の対応、学校現場の教師のあり方、フリースクールの存在意義や補助金のあり方など多岐にわたるものでした。特に、障害を抱えている子の施設での体験では、下着が男女一緒に干されてしまい恥ずかしかったこと、本人の許可なく部屋に立ち入られて持ち物を検査されて嫌だったことが切実に訴えられていたのが印象的でした。
 また、別の子は校則の厳しさを語り、靴下の色が指定されていること、冬場はスラックスを強制されること、男子の髪型が耳にかかってはいけないなど不必要に厳しいことなどを訴えました。
 私が中学生の頃は、男子は丸坊主が当たり前の時代であり、隔世の感を抱きました。運動部は全員丸坊主のところ、吹奏楽部であった私は全校男子生徒の中で唯一長髪の生徒でした(長髪といってもこのHPのプロフィール写真程度)。
 ちょうど父親がPTA会長をやっていたため、「学校での立場がないから丸坊主にしてくれ。」などという理不尽な要求を突き付けられたのを覚えています。
 助けを求めた母親からも「人生のうちの最後の丸坊主だと思って切ってみたら。今しかできないよ。」といわれ、妙に説得されて丸坊主にした記憶があります。

 さて、子どもの権利条例の話に戻りますが、子どもの権利条例を制定する際には、とかく子どもは保護の対象であり、有害な環境から守ろう、わがままな子どもに育っていけないなどとして、子どもの行動を規制しようという「保護条例」推進派との意見が対立しがちです。
 しかし、「権利」といっても大人の権利とは違い、当たり前のことを当たり前にさせてあげるというものです。自分の意見を表明する機会を与え、主体的に行動できる子どもを育てていこうとの理念に基づき、決して子どものわがままを無条件に許すというものではありません。子どもがのびのびと育っていける環境を作ることが私たち大人の責務であると考えるのです。
 先ほどの子どもたちを例にとりますと、児童養護施設内では洗濯物を男女別に干し、プライバシーを尊重することは大人だけでなく子どもにとっても当たり前のことです。また、不必要な校則は、子どもの理解を得られず、単に子どもを締め付けるだけのルールになりかねません。不登校の子が学校の代わりに通うフリースクールも補助金を交付して充実させ、多様な教育環境を整えていく必要も考えなければいけないことでしょう。
 一方、私の理不尽な丸坊主は、母親の言葉に納得してしまっている以上、問題はないことになります。十分に反論の機会を与えられた上で納得してしまったのですから・・・。

 今回のシンポジウムは、条例を作ることだけが目的ではなく、今後、条例づくりを通じて子どもたちが参加しながら市民で議論を重ねていくことの重要性が確認された大変有意義な会でした。

(文責:宮下)