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音楽教室における生徒による課題曲の演奏と著作権

 注目の裁判に最高裁で決着がつきました。

1 問題の所在

  音楽教室  A

  教室の生徒 B


  生徒Bが演奏の練習として課題曲Xを演奏

  Xの著作権者(厳密には、著作権等管理事業者Y(JASRAC))

  このような関係で、生徒BがAの指導のもとで、課題曲XをYの許諾なく演奏することが、AによるYの著作権(演奏権)侵害になるかという問題です。

  音楽の著作物には、「演奏権」という権利(支分権)があります。
  したがって、音楽の著作権者(作曲者など)に無断で演奏すると、その行為は演奏権の侵害となり、原則として著作権法違反になります(もちろん私的利用の例外などにあたる場合には、著作権侵害にはなりません)。

  この裁判は、音楽教室Aが、JASRAC(Y)に対し、著作権侵害が存在しないことの確認を求めて提訴した事案(確認訴訟)になります。  


2 最高裁の判断(令和4年10月24日。判決文はリンク先をご覧ください。

  音楽教室Aの主張を認め、Aの行為(Aの運営する音楽教室で生徒Bが課題曲Xを演奏する行為)には、Aの著作権侵害は成立しないとした。


 では、その理由をみてみましょう。


(1)まず、>JASRAC(Y)の主張は以下の通りです。

『所論は、生徒は被上告人らとの上記契約に基づき教師の強い管理支配の下で 演奏しており、被上告人らは営利目的で運営する音楽教室において課題曲が生徒に より演奏されることによって経済的利益を得ているのに、被上告人らを生徒が演奏 する本件管理著作物の利用主体であるとはいえないとした原審の判断には、法令の 解釈適用の誤り及び判例違反があるというものである。』
 
(2)これに対する最高裁判決の判断は・・・・

演奏の形態による音楽著作物の利用主体の判断に当たっては、演奏の目的及 び態様、演奏への関与の内容及び程度等の諸般の事情を考慮するのが相当である。

 まず、このような判断基準を設定しています。

 若干専門的な話になりますが、この種の問題については、先行する判例があります。
 それはいわゆるカラオケ法理というものです。

 詳しくは、以前に記事にしたことがあるのでこちらをご覧ください。

 著作権の侵害の主体~判例の考え方

 カラオケ法理とは、簡単に言えば、①管理性、②営業上の利益性という2つの観点を指摘して、物理的に歌唱していないスナックの経営者が、著作権の侵害主体であると判断した最高裁判決(クラブキャッツアイ事件)の理論(規範的利用主体論)をいいます。

 ここで、上記の、JASRACの主張をご覧ください。まさに、JASRACの主張はこのカラオケ法理に基づいて組み立てられていることがわかるかとおもいます。

 このカラオケ法理については、その後の最高裁判決の流れなどから必ずしも確定的な法理ではなく、事案の特殊性ゆえに、あまり一般化できないとの指摘も学説上はなされていました。

 その具体例が、最判平成23年1月20日(ロクラクⅡ事件)です。この事件は、演奏権の事案ではありません。
 通信録画サービスの著作権侵害が問題となった事件ですが、カラオケ法理とはやや異なる以下のような判示を行い、しかも知財高裁の判断を覆したことから、注目されました。

  「複製の主体の判断に当たっては、複製の対象、方法、複製への関与の内容、程度等の諸要素を考慮して、誰が当該著作物の複製をしているといえるのかを判断するのが相当である」

 この判示は、今回の音楽教室の上記判示と似ています。

 そうすると、わずか2行の判示ですが、最高裁はもはや音楽の著作物の演奏事案においても、従前のカラオケ法理は維持せず、ロクラクⅡ事件の判旨が最高裁の基本的な考え方となったといえるとおもいます。
 本件で最高裁は、続けてこのように述べています。

 『被上告人らの運営する音楽教室のレッスンにおける生徒の演奏は、教師から演奏技 術等の教授を受けてこれを習得し、その向上を図ることを目的として行われるので あって、課題曲を演奏するのは、そのための手段にすぎない。そして、生徒の演奏 は、教師の行為を要することなく生徒の行為のみにより成り立つものであり、上記 の目的との関係では、生徒の演奏こそが重要な意味を持つのであって、教師による 伴奏や各種録音物の再生が行われたとしても、これらは、生徒の演奏を補助するも のにとどまる。また、教師は、課題曲を選定し、生徒に対してその演奏につき指示 ・指導をするが、これらは、生徒が上記の目的を達成することができるように助力 するものにすぎず、生徒は、飽くまで任意かつ自主的に演奏するのであって、演奏 することを強制されるものではない。なお、被上告人らは生徒から受講料の支払を 受けているが、受講料は、演奏技術等の教授を受けることの対価であり、課題曲を 演奏すること自体の対価ということはできない。 これらの事情を総合考慮すると、レッスンにおける生徒の演奏に関し、被上告人 らが本件管理著作物の利用主体であるということはできない。』

  カラオケスナックの事案との違いとして、①生徒の楽器演奏の性質、②対価は、音楽の著作物の利用そのものではなく、技芸の教授に対するものであるということが指摘されています。
  ①については、演奏に強制性がないことはカラオケスナックでも同様と思われますが、このあたり微妙な判断といえます。

 おそらく最高裁としては、音楽教室での生徒の演奏にまで著作権侵害を認める(つまりJASRACに利用料を支払わせる)ことは、社会の実態に照らして行き過ぎだと考えたのだとおもいます。
 そのために、そのような結論を導くことの出来るロクラクⅡ事件の判旨を採用し、そのあてはめで理屈をつけて、結論の妥当性を確保したということではないかとおもいます。

 判旨に賛成したいとおもいます。

(一由)