熊に遭ってしまった 2010年6月
 5月16日熊窪山へ登った。稜線へ出るとでかい送電用の鉄塔がある。周りは刈り払われているから眺めはよい。長野市の南部市街地,西山地方の里山を前景に,白馬岳から穂高岳までの大パノラマだ。頂上から戻って,ここで昼飯とする。

 午前11時30分,帰り仕度をしようと立った。すると!前方の藪にガサゴソ音がして灌木が動く。これは,けっこうな質量のある動物だと直感した。カモシカやイノシシは,よく遭うから,そうかなと思う。向こうも気付いたようで立ち止まる。うわっ,頭がまっくろだ,これは熊だ。どうしようと思ったが,落ち着いていた。セオリーどおり正対して後ずさりしながら離れることだと考えた。ゆっくりとザックを背負おうと動いたとたん,その黒い物体はダーッと西の斜面に駆け下りて逃げて行った。鉄塔の巡視路を横切ったとき全身が見え,更に斜面でも見えた。まさに,熊そのものだった。
 大きいため息を付いて下山した。脇の下が少し冷や汗で濡れたり,口が渇いたり,時々振り返ったりしたが,駐車場まで落ち着いて帰った。そこで,記憶維持のための実況見分をして,熊との距離は18±2m,熊の大きさは120cmと測定した。多くの山を歩いて来たが,こんなことは初めてだった。

 熊と遭ったらどうするか,というテーマは古くから語られてきたが,定説がない。最も知られているのは死んだふりをするということだが,熊が目の前にいるときに横になって死んだふりのできる人間がいるか。ということで,これは人間の行動原則に反する。その他にこれといった定説がないのは,そういう事例が少ないし,その時々の状況下で異なるということであろう。熊は厚い毛皮とするどい牙と爪という強力な武器を体に備えている。その上,走力,瞬発力,打撃力すべてが人間のそれをはるかに凌駕する。この力関係を認めなくてはならない。「死んだふりをしろ」という昔の人の言葉は,このことを前提に「死んだように静かにしていろ」ということではないかと思う。
 しかし,人間も熊に対して臆病なように,熊もやはり臆病なのである。ここに熊に遭ったらどうするかという答えがある。つまり,遭遇することに対する徹底的な予防である。かつて私は,いざという時のためにサバイバルナイフを携行したが,熊に詳しい大西正一さんの「多分刺さらないよ」の一言にすぐに納得してやめた。そこで,現在利用している方法は,歩行中は鈴を鳴らすかポケットラジオの音を大きくして流す,出遭ってしまったときのために,アメリカ連邦警察の唐がらし入りスプレーを持つことである。
 今回はラジオのバッテリーが切れていたことと,スプレーをザックの中に入れてしまったことが反省点である。ということで,熊は決して人間に対し自ら積極的に危害を加えたりはしない善良な動物であること,不幸にして出遭ってしまった場合の対処の仕方についての一助となればと思って書き記したものである。

 このときのことを,あの熊の立場から見るとこうなると思う。
 景色のいい鉄塔の所へ行こう。ガサゴソ。あれ,さっき4人位の人間が下りて,もう1人鈴を付けた人間が下りて行って誰もいないはずだが,ちょっと変な雰囲気だなぁ。いつもと違う。あっ。変なおっさんがいる。こっち見てる。ガサゴソしたからかな。見たところ,かなり山に慣れていて,知性豊かで気持ちは優しそうだ。人間社会では,かなり尊敬されていそうだ。しかも落ち着いて,こっちを見てる。あっ,何かを背負おうとしている(ザックを背負うときのこと-作者注)。やばい,逃げろー。(斜面を下り切って)あー良かった。それにしても,あの人間,かなりの人格者のような気がする。

 ずっと昔,長野に新雪荘という山の道具屋があった。そこのY主人は毒舌で有名で,普通のお客は一回で来るのをやめた。私がこの主人に「熊よけの鈴が欲しい」と言ったとき,この主人はワッハハと笑って「いらない。向こうが逃げる」と答えた。私はムカついた。しかし,今回このとおりになった。Y主人はあの世で「やっぱし」と言ってゲラゲラ笑っているだろう。このヤロー。

 (武田芳彦)