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柿むき大会 2011年1月

 新年明けまして、寒さも一段と厳しくなり、コタツでの干し柿が美味しい季節となりました。
 私の出身地である飯田下伊那地方は、「市田柿」という干し柿が有名なところです。
 今では「市田柿」は干し柿の高級ブランドですが、あめ色の果肉と小ぶりで品のある外観、それにもっちりした食感と口に広がる上品な甘さは、まさに絶品中の絶品です。

 私の実家も、私が小さい頃、おじいちゃんとおばあちゃんが家の軒下に柿を吊し、市田柿を出荷していました。家には手動の柿むき機があり、ハンドルをくるくる回すとあっという間に柿がむけてしまうその道具に、子供心が踊らされたのを覚えています。
 また、秋から冬にかけては多くの民家の軒下で干し柿が作られており、「柿すだれ」と言われるオレンジ色のカーテンが故郷を彩りました。残念ながら、最近ではめっきり少なくなってしまいましたが・・・。

 さて、そんな干し柿に囲まれて育った私ですが、小学生のころ、学校の年間行事で「柿むき大会」という奇妙なイベントがありました。全校生徒が一堂に集まり、ブルーシートを引き詰めた体育館に山積みになった柿をクラス対抗でむいていくのです。もちろん、各々自宅から持ち寄った包丁や果物ナイフが大会の必需品です。
 何時間かかけて、一人数十個はむく計算です。早い人は100個以上むく強者もいました。とにかく、何かで目立てば仲間や女の子の人気者になれる時代です。それに小学生ですから、みんな負けん気が強く、競い合って皮むきに励みました。薄くむくことにこだわる人、切れずに1本つなげてむく人、細く長くむく人、とにかく速くむく人とそれぞれに個性を発揮しながら、皮むきを楽しんでいました。優勝したクラスに表彰があったのかは忘れましたが・・・。
 学校挙げての一大イベントであったため、とても楽しかったことだけは覚えています。
 その後、むいた柿は各教室の軒下に吊され、晩秋の冷たい風によって甘みを熟成させながら美味しい干し柿へと変わっていきました。
 そこで1~2ヶ月干し、均一に白い粉(コ)が噴いてきたら、いよいよ食べ頃です。
 最終的な柿の行方は、これまた学校の行事であるスケート教室に持って行き、好きなだけ食べなさいといった“落ち”でした。食べ過ぎて、一時期、干し柿が嫌いになったこともありましたが・・・(笑)。
 今思えば、包丁の使い方から始まって、ライバル心や個性の追求、協調性を通じたクラスでの一体感、地域の食文化、自給自足の仕組みに至るまで様々なことを自然に身につけさせる要素が「柿むき大会」には凝縮されていたことに驚かされます。
 残念ながら、現在では我が母校でも「柿むき大会」は行われていないようですが、専業主夫となっても包丁だけは使える大人にしてくれた「柿むき大会」に感謝しています。

(文責:宮下)