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越後の龍… 2014年3月
「越後の龍」,「甲斐の虎」といえば,誰のことかわかりますか?
越後の国を支配していた戦国大名上杉謙信と甲斐の国を支配していた戦国大名武田信玄のことです。
私が小さいときに愛読していた学習漫画に,「武田信玄」の伝記漫画がありました。信玄の伝記漫画ですから,当然,クライマックスは武田・上杉両軍が激突した川中島合戦です。
信玄の軍師山本勘助が献策した奥の手の奇襲作戦(啄木鳥作戦)を,謙信は炊事の煙の量から喝破したと伝えられています。謙信は,夜半,武田軍に気取られないよう犀川を渡った上,手薄になった武田軍本隊を車懸の陣で猛攻し,副将武田信繁,軍師山本勘助を討ち取りました。この際,謙信は,信玄本陣に単騎突入し,小豆長光の太刀で斬りつけた,という逸話も伝えられており,何度読んでもため息がでるほど鮮やかで,神秘的なまでに戦上手なカリスマのイメージが強く私の胸に焼き付いて離れませんでした。また,戦国大名には珍しく領土拡張の欲望を持たない義の人であったといわれている謙信の清廉なイメージも憧れをそそる要素でした。
以来,謙信は,私が一番好きな戦国武将だったわけですが,大人になって色々調べてみると,幼いときのイメージとはまた少し違った謙信像,川中島合戦像が見えてくることがあり,大変興味深いものがあります。そもそも,山本勘助は実在を疑われており,架空の人物であるか,ごく身分の低い武田家の武将で軍師などではなかったこと(近年実在説も有力。),謙信が啄木鳥作戦を見破ったのではなく,たまたま武田・上杉両軍が濃霧の中でばったり遭遇してしまい,思わぬ大激戦になっただけという説,実は謙信は女性だったという珍説など,講談的物語が好きな私にはすこし残念な話もありますが,それはそれとして・・・。
先日,謙信が幼少の頃を過ごした林泉寺(上越市)に出かけた際に,上杉軍の軍旗を見ることができました。謙信は,紺地に日の丸の旗,毘沙門天の「毘」の旗,「龍」の旗などを掲げていたそうです。「毘」の旗は有名ですが,「龍」の旗は,「懸り乱れ龍」といって,突撃の際の合図として使われたもので,敵兵は,この「懸り乱れ龍」を見ると怖じ気づいて,逃げ出したとか。きっとこの旗を合図に,川中島でも激戦が繰り広げられたのでしょう。
謙信は,武田信玄,北条氏康,織田信長といった強豪と生涯にわたって死闘を繰り広げ,敗戦記録がほとんど残っていないとされています。文字通り戦国最強の大名は,上杉謙信であると思います。
謙信は,49歳で亡くなりました。謙信があと10年生きていたら,信長・秀吉の天下はなかったかもしれないともいわれています。
謙信の辞世は,
四十九年 一睡夢 一期栄華 一盃酒
と伝えられています。
49年の人生は,一晩の夢のように一瞬で,私の到達した栄華さえも,一杯の酒のようなもので儚いものにすぎないのだ,という意味でしょうか。
諦めの境地をうたった詩というよりも,時代を精一杯生き抜いた謙信だからこその淡々とした晩年の境地を表した詩のように思われます。
華美な宴席を嫌い,ひとり縁側で,梅干しをつまみに酒を飲むことが楽しみだった謙信の姿が目に浮かぶような,潔い詩ですね。