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松代・栗林忠道大将と松代大本営
12月8日は、太平洋戦争の開戦の日です。
長野の松代には、太平洋戦争に関わる見どころがいくつかありますのでご紹介したいと思います。
まず、松代出身の軍人、栗林忠道大将(戦死した時点では中将)です。
栗林大将は、硫黄島の戦いの指揮官として知られており、その勇猛果敢な指揮でアメリカ軍に徹底抗戦した将軍です。
栗林大将はアメリカに留学した経験から、圧倒的な国力を有するアメリカとは絶対に戦争をすべきではないと強く開戦に反対していました。
硫黄島に送られたのは、東條英機首相にその態度を疎まれてのことという説もあります。
わたしが栗林大将のことを知ったのは、梯久美子さんの「散るぞ悲しき」という書籍です。
栗林大将に課せられたミッションは、硫黄島で米軍を少しでも長く食い止めて全滅することで、最初から勝ち目のない戦いであることはわかっていました。
武器や弾薬も十分ではなく、飲み水すら不足し、兵士たちは茶碗一杯の水を舐めるようにしている状況でした。
「散るぞ悲しき」とは栗林大将が陸軍本部に最後に送った通信の中にある辞世の句の結びであり、栗林大将は将兵を無駄死にさせる愚かな戦争指導に対し万感の思いを込めて「悲しき」という言葉を使いました。
しかし、栗林大将の戦死後、なんと陸軍省ではその3文字を「口惜し」に変えて発表しました。
戦争批判の意図を見抜き、栗林大将の血の滲むような思いの込められた言葉を勝手にすり替えてしまったのです。
栗林大将は、日本陸軍でもっとも有能であった指揮官としてアメリカ軍では今も記憶されているそうです。
「硫黄島からの手紙」という映画で渡辺謙さんが栗林大将を演じて話題となりました。
松代の明徳寺に、栗林大将のお墓があります。
大きな記念碑があります。
美しい境内のお寺です。
栗林大将のお墓です。
硫黄島で散った大将のお骨は、このお墓には納められませんでした。
栗林大将のお墓参りの後、松代大本営跡にも寄ってみました。
東京が空襲の対象になったため、天皇や大本営(戦争指導の中心部)を安全な松代の地に移そうという計画があったのでした。
正確には、この象山地下壕と皆神山地下壕の二つがあり大本営や皇居は皆神山地下壕のほうが予定されていました。
硬そうな岩壁をくり抜いて広大な地下壕を建設していたのです。
美しい松代の山々。
平和を唱えるだけでは平和を守ることはできません。
まずは過去の歴史を知って、自分なりに考えることが大切ですね。
帰りに松代のうどん屋さん「めん みくら」で、おしぼりうどんを食べました。
辛い大根汁に味噌や薬味を溶いてつけ汁にする長野の名物です。
最初はかなーり辛いんですが、だんだんまろやかになって、とても美味しいんですよ。
ごちそうさまでした。