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江戸時代の裁判… 2014年11月

  いつの世も人と人との争いや犯罪は絶えないもの。
江戸時代の習俗や制度についての記録をまとめた岩波文庫「徳川制度」から江戸時代の司法制度をご紹介します

1 奉行と評定所
江戸の裁判所は、主として南北町奉行、寺社奉行、勘定奉行がそれぞれの職分に応じて裁判を担当していました。時代劇でおなじみの遠山の金さんや大岡越前は江戸町奉行という設定でしたね。
基本的に控訴は認められず、一審制だったようです。但し、原告が江戸の人で被告が地方の人である場合には、「評定所」という控訴裁判所に控訴が許されていたということです。評定所は、大目付、御徒目付、三奉行が合議体を組むいわば江戸時代の最高裁判所でした。桜田門外の変などの重大事件は奉行ではなく、直接評定所で裁かれました。少額の貸金訴訟などは、奉行の負担軽減のために与力という役人がこれを裁いたそうです。現在でいう簡易裁判所のようなものでしょうか。

2 判決の執行
たとえば貸金訴訟で奉行が「○月○日までに○両を払え」と裁決した場合には、奉行が、訴状にその旨裏書をして、奉行印を押したうえで、履行日当日に原被告双方が出廷してお金の受け渡しをしたそうです。やむを得ない事由がないのに被告がお金を持ってこなかった場合には、入牢を申付けるということで判決の不履行は厳しく処罰されたようです。
民事裁判の判決を無視してもなんのおとがめもない現代に比べて判
決の執行は実効性のあるものだったようですね。

3 民事刑事の交錯
江戸時代の裁判では民事刑事の裁判が同時に行われていたようです。
次のような興味深い裁判例が残されています。
ある商人が落魄して、生活に困っていたところ、昔お金を貸した相手に金を返してもらおうと娘を遣いにやった。娘は借主に返済を催促したところ、借主の男は「証文(借用書)を持ってきたら返済する」と回答した。娘が自宅に戻って証文を持参し借主に渡したが、そのまま無視され証文も返してもらえなかった。侮辱を受け、父にも面目が立たないと恨みに思った娘は、借主の家に放火してしまった(借主にケガはなかった)。
江戸時代の刑法では、放火は重罪とされ、火あぶりの刑と定められていました。しかし奉行は事情を聴くと、どうもその娘を火あぶりの刑にすることは忍びないと考えた。さりとて、幕府の定めた国法を逸脱することもできない。奉行は知恵を絞ったすえ、次のような判決を言い渡した。

1 借主の男に対しては、貸金10両のうち、5両を直ちに返済させ、
残り5両については、毎年1朱ずつの分割返済を申付ける。
2 娘に対しては、上記貸金の全額返済が終了したときに火あぶりの刑に処する旨申付ける。
当時の1朱は、1両の16分の1ですから、5両=80朱にあたります。つまり、80年先まで火あぶりの刑の執行を猶予した判決で、当時の寿命からすれば、火あぶりの刑を執行することはまずあり得ず、実質的には無罪の申し渡しでした。

人情味あふれるなんとも「いき」な判決ですね。

以 上

(文責:一由)